「網膜神経保護の試み」
網膜色素変性に対する研究は、その患者さんの数と比較しても世界中で多く行われています。これらの研究は遺伝性の網膜疾患を理解するために重要であり、そのため加齢黄斑変性や他の網膜疾患に対する治療法の発見につながる可能性もあり、多くの臨床試験を経て進歩してきました。
現在、網膜疾患に対しては、大きく分けて2種類の治療法が研究されています。ひとつは、視機能を修復したり、残存視機能を活性化するために、障害部位(例えば、突然変異遺伝子や変性した視機能)を置き換えてしまうことを目的とした治療です。網膜色素変性で言えば、iPS細胞を用いた再生医療や人工網膜、網膜細胞移植などがそれにあたります。もうひとつは、網膜神経保護を目的とした治療法です。網膜神経保護とは、網膜や視神経の細胞死を来す疾患、つまり緑内障、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、そして網膜色素変性などの疾患に対して、神経細胞死から神経を保護することによって神経細胞の生存を促進させ、構造と機能を維持することにより疾患の進行を食い止めようとする治療法であり、現在残っている視機能を少しでも長く維持することを目的としています。
現在行われている神経保護治療研究は、さらに2つのカテゴリーに分類することができます。薬物療法と、リハビリ的療法です。薬物療法には、①ウルソデオキシコール酸などの胆汁酸、②プロゲステロンなどのステロイドホルモン、③ドーパミン関連療法、④神経栄養因子などの成長因子または成長因子受容体アゴニストなどが挙げられます。また近年では網膜細胞死に関連する小胞体ストレスを抑制するはたらきのある薬剤についての研究も国内外から報告されています。リハビリ的療法とは内因性の修復メカニズムを向上させる治療であり、⑤運動療法と⑥網膜電気刺激療法が挙げられます。
神経保護治療の対象としては、大きく分けると光受容体(=視細胞)変性疾患、糖尿病性網膜症、および網膜神経節細胞疾患になります。これらの疾患は病態も障害部位も異なりますが、病理学的な最終段階が同じ酸化ストレスとアポトーシスであるという共通点があります。つまり、神経保護治療はこれらの広範な疾患メカニズムを標的にできるため、複数の網膜疾患に対しても活用することが出来るということです。また、現時点では網膜再生医療や人工網膜、遺伝子治療は主に安全上の問題から、疾患の後期段階にある患者さんを対象としています。したがって、重度の視力喪失および失明への進行を遅らせるために、初期のうちから比較的安全に適用することができる神経保護治療が、将来非常に重要な役割を担うようになるのではないかと期待されます。
しかし、網膜神経保護研究、特に網膜色素変性を対象とする研究には課題もあります。網膜色素変性は希少疾患であり、試験に参加してもらえる患者さんを集めることが難しいこと。症状や進行速度が非常に多様であり、患者さんによって神経保護効果がさまざまであること。そのため、適切な評価方法の設定や、最適な用法、用量の確立が難しいこと。ゆっくり進行する慢性疾患であるため、本当に機能が維持できているかの判断には数年以上かかること。神経保護治療のみでは疾患が完治したり、劇的な視機能の回復効果を得たりすることが難しいことなどが挙げられます。
本講演では、これら神経保護研究の詳細や研究成果、今後の展望について解説いたします。また現在千葉大学病院で研究している網膜電気刺激療法についても紹介させていただきたいと思います。