[9月の課題]
〜先生と呼ばれる(言われる)ほどの馬鹿でなし〜
「石を投げると先生に当たる」、「先生と呼べばみんなが振り返る」と言われるほ
ど、世の中には先生が多い。学校・塾の教師、医師、政治家、マッサージ師、作家、
華道・茶道・舞踊・歌曲の師匠等々、枚挙に暇がないほどである。
ところで、「先生と呼ばれる(言われる)ほどの馬鹿でなし」※1 という川柳があ
る。「先生」と呼ぶ時は必ずしも尊敬しているわけではない、という戒めである。既
に太宰治の戦前の作品に「いやな言葉」だと評したくだり※2 がある。
国会でも地方議会でも、議員バッジをつけて「先生」と呼ばれると、偉くなったよ
うに勘違いする議員が多いようである。大阪府議会はこのほど、議員同士で「先生」
と呼ばないことを確認し、府職員にも使わないよう求めたらしい。議員は同僚や職員
と上下関係にないことを意識づけるためだという。府の幹部や職員にとっては、「先
生」は無難に話しかけられる便利な呼称だったのだろうが。 (毎日「余録」 2022
/10/29)
川柳界でも、結社の代表や幹事、有名な作家や選者に対して、一般の同人や作家の
中には「先生」と呼ぶ人がある。「先生」と呼ばれた川柳の大家はどんな顔をしてお
られるのだろうか。尻がこそばゆいのではないだろうか。私は、この有名な「先生と
呼ばれる〜」の句があるのだから、少なくとも川柳界では「先生」という言葉は使わ
ない方がよいと思っている。「さん」付けで呼ぶことにしませんか。
もちろん言わずもがなであるが、各地のカルチャーセンターの川柳講座などで指導
を受けている(受けた)人が、その講師を「先生」と呼ぶのは当然のことである。
※1 「先生と言われるほどの馬鹿でなし」にある2つの意味
@「先生」と呼ばれていい気になってしまうほどの馬鹿ではない
A先生と呼ばれて得意になって偉そうにする人を嘲ること
※2 太宰治 著『風の便り』
あなた、とお呼びしていいのか、先生、とお呼びすべきか、私は、たいへん迷って
居ります。私は、もし失礼でなかったら、あなた、とお呼びしたいのです。先生、と
お呼びすると、なんだか、「それっきり」になるような気がしてなりません。「それ
っきり」という感じは、あなたに遠ざけられ捨てられるという不安ではなく、私のほ
うで興覚(きょうざ)めて、あなたから遠のいてしまいそうな感じなのです。何だか
、いやに、はっきりきまってしまいそうな、奇妙な淋(さび)しさが感ぜられます。
私でさえも、時には人から先生と呼ばれる事がありますけれど、少しもこだわらず、
無邪気に先生と呼ばれた時には、素直に微笑して、はい、と返事も出来ますが、向う
の人が、ほんのちょっとでも計算して、意志を用いて、先生と呼びかけた場合には、
すぐに感じて、その人から遠く突き離されたような、やり切れない気が致します。「
先生と言われる程の」という諺(ことわざ)は、なんという、いやな言葉でしょう。
この諺ひとつの為に、日本のひとは、正当な尊敬の表現を失いました。私はあなたを
、少しの駈引(かけひ)きも無く、厳粛に根強く、尊敬しているつもりでありますけ
れども、それでも、先生、とお呼びする事に就(つ)いては、たいへんこだわりを感
じます。他意はございません。ただ、気持を、いつもあなたの近くに置きたいからで
す。私は肉親を捨てて生きて居ります。友人も、ございません。いつも、ただ、あな
た一人の作品だけを目当に生きて来ました。正直な告白のつもりであります。
それでは、例によって上記の中から出題します。
■2023年9月(No.146)
題:「嫌」(嫌い) (進 選)
題:「無邪気」 (禮子 選)
題:「敬う」 (豊 選)
題:「勘違い」 (航太郎 選)
(各題2句出し)
◎今月の締切:9月24日(日)正午必着
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